母も女、私も女。ぶつかり合った先にあったもの
介護は、体力よりも心がすり減る
特に「母と娘」という関係は、
ただのお世話じゃない。
私は母が大好きだった。
だけど、
うまくいかないこともあった。
母は“親”としての思いや心配から
言葉をかけてくる。
でもそれが時に私は
「責められているように」
感じることがあった。
一方で私は母を「年寄り扱い」
してしまっていた。
“やってあげる”が押しつけに見えたかもしれない
疲れからなのか
余裕がなく揉めることも
増えてきた。
私の言動の
“やってあげる”というスタンスが
母にとっては「押しつけ」に
見えたのかもしれない。
介護には、
程よい距離感が必要だと思う。
できるだけ
母に優しくしたいから。
母の運転をめぐって起きた、静かな事件
年齢的に心配だったけど、母の意志は強かった
母は車の運転を
やめたがらなかった。
年齢的にも心配だったけれど
車がないと
買い物にも行けないし
生活のためには
車が必要だった。
母には
母の考えや
思いがあったのだと思う。
警察からの電話、そして母の沈黙
ある日、
母は人身事故を起こした。
連絡があったのは
母からではなく、
警察からだった。
母は
事故を起こしたことを
私に黙っていたのだ。
私に
言いたく無かったのか・・・
言えなかったのか・・・
「責めたいわけじゃなかった」——私の静かな伝え方
警察からの連絡があった次の日に
「警察から連絡があったけど」と、
私は静かに母に電話で伝えた。
私に
心配をかけたくなかったのかも
しれない・・・。
後日初めて、
母に免許返納の話をして
考えて欲しいと伝えた。
介護はただの“お世話”じゃない。母との心の最終章
母がいたから、今の私たちがいる
母は一人で
私と弟を育ててくれた。
母がいたからこそ、
今の私の生活がある。
父親役、母親役を
やってくれて
守ってもらった。
母は二人の子供を育てながら
仕事をしていた。
仕事は週休1日、育児毎日。
次の日の仕事に寝坊しないように
寝る前にあえて、
トイレに行かないで
寝るようにしていたと
話てくれた事を思い出す。
母と向き合った時間は、かけがえのないものだった
母を見送った今、
私は思う。
介護は、
自分を育ててくれた人との
“心の最終章”。
それは、
別れ際にそっと渡された、
母の“教科書にない教え”だった。
体力的にも、精神的にも
本当に大変だった。
だけど、
母と向き合ったあの時間は——
私にとって、
かけがえのない宝物になった。
今、介護しているあなたへ伝えたいこと
あなたは、ちゃんと頑張ってる
誰にも見えないところで
我慢して気をつかって、
それでも笑ってる。
それだけでもう、十分すごい。
誰がなんと言おうと、
私はあなたを応援したい。
だから、せめて今日くらいは
自分のことを褒めてあげてください。
「今日も、よくやった」って。
頼ってください
私は、
母が入院していた病院の
ソーシャルワーカーさんや、
地域包括支援センターに相談して、
助けてもらいました。
看護師さんにも、
たくさん支えていただきました。
もし今、
一人で悩んでいるなら——
どうか、
まずは誰かに相談してみてください。
頼っていいんです。
頼っていいんですよ。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
この文章が、
いま介護に向き合っているあなたの心に、
ほんの少しでも寄り添えたなら、
うれしいです。
コメント
こんばんは!
今現在 あたくしも父・母の介護真っ最中です。
周りの方、子供たちに助けていただきながら 少しずつですが前に進めています。
おそらく この状況も長くは続かず また壁にぶち当たることでしょう。
ブログ読ませていただいて 涙がとまりませんでした。 それとともに心が暖かくなりました。 また行き詰まったりした時は読ませて頂きたいと思います!
新原 恵さん
こんばんは。
コメントを読ませていただいて、胸がいっぱいになりました。
今まさにお父さま・お母さまの介護のなかにいらっしゃるとのこと。
本当に毎日、気力も体力もたくさん使われているのではないかと、
勝手ながら想像しています。
私も、渦中のときは必死で…正直、笑うことすら忘れていた日もありました。
そんな中で、誰かの言葉や気持ちに支えられた記憶が今もずっと残っています。
だから、こうしてブログを通して心が少しでも軽くなってもらえたのなら、
こんなに嬉しいことはございません。それだけで救われる想いです。
また行き詰まったとき、いつでも立ち寄ってくださいね。
「私も同じだったよ」と、ここからこっそりエールを送ります🌿
本当にありがとうございました。